コラム「伸顕が斬る!」
社員の成長が企業の成長Part1.
2011年9月 1日 木曜日

公益財団法人大田区産業振興協会

専務理事 山田 伸顯

1.日本でいちばん大切にしたい会社大賞
表彰式でスピーチする近藤社長
表彰式でスピーチする近藤社長
 今年5月16日に第1回「日本でいちばん大切にしたい会社」大賞の表彰式が行われた。
 表彰対象は、「正しいことを、正しく行っている企業」であり、それは「企業が本当に大切にするべき1.社員とその家族、2.外注先とその社員、3.顧客、4.地域社会、5.株主・出資者の順番で、その幸福を実現するための行動を継続している会社」を指している。
 応募資格として「過去5年以上にわたって、以下の7つの条件のうち5項目以上該当している」こととしている。

1.人員整理等をしていないこと
2.下請企業・仕入先企業への一方的コストダウンをしていないこと
3.顧客のリピーター率が業界の平均を上回っていること
4.障害者雇用率は2.0%以上であること
5.黒字経営(経常利益)であること
6.遵守すべき法律・規制においてコンプライアンス上の問題がないこと
7.何らかの社会貢献活動が続けられていること」
つまり、業績が良いだけでは不十分で、その内容と人に対する姿勢が問われている。

 この厳しい条件を見事にクリアーし、かつ継続的取り組みが高く評価されて、中小企業庁長官賞を受賞したのが株式会社日本レーザーである。
 同社は、2007年に経営陣と従業員などによりマネジメント・エンプロイー・バイアウト(MEBO)でJLCホールディングスを設立し、その100%出資子会社として新しく生まれ変わった会社である。リーマンショック以前の08年4月- 6月期に非常事態宣言を発令し、「我慢の年」と位置付けて何とか黒字を確保した。09年は「学びの年」として、レーザー技術の応用分野や市場を開拓し、経費節減や合理化により利益を拡大できた。10年は「大爆発の年」と振り返るとおり、過去最高となる40億円弱の売上高と3億3千万円余の経常利益を達成した。
 現在では、世界最先端の光技術・光関連製品の輸入販売を中心に、レーザー事業・加工機事業・計測検査機器事業を手掛けている。海外50社以上の主要メーカーと代理店契約を結び、自社開発製品の提案やOEM製品の供給も可能で、技術革新型企業にとってのベストパートナーとして多くの国内大手の顧客を保有している。
 しかし、1968年にレーザー専門商社の草分けとして設立された前身の会社は、決して順調に推移してきたわけではなかった。94年には債務超過に陥り、銀行の融資がストップし整理直前の状態であった。そのときに、親会社である日本電子から送り込まれたのが現在の社長である近藤宣之氏である。近藤氏の社長就任が株式会社日本レーザーの今日をもたらしたのである。
2.近藤社長の足跡
 1944年生まれの同氏は、慶応義塾大学工学部電子工学科を卒業後、日本電子株式会社に入社した。その当時の会社内は、複数の労組があり対立していた。28歳のとき片方の労働組合委員長に担がれ、「労労紛争」を決着して、健全な労使関係の確立に貢献した。労使関係安定の目途が立ったのもつかの間、放漫経営とオイルショックにより会社の経営状況は極めて悪化してしまっていた。今度は、組合の責任者として、企業存続のための合理化に直面した。結果的に1974年から75年にかけて全従業員の3分の1に当たる1000名の社員が会社を去らねばならない修羅場を経験した。会社の自主再建を果たすために、経営陣の責任と償いを迫った。2代目の社長は主力銀行から迎えられた。以後8年にわたる自主再建と世間並みの賃金を目ざした活動の結果、社内から新社長が選任され、会社組織の再編もされたことを期に労組の委員長を退任した。役員以上に国内の従業員を掌握していた同氏だが、退任1年目の1984年に、アメリカ法人の支社に出向を命ぜられた。ニュージャージー事業の経営破綻を処理することが使命であった。アメリカ的手段により、日本人駐在員の帰国・現地社員の全員解雇・資産売却という荒療治を施した。
 その後、ボストンの米国法人本社に移った。東西冷戦の終結により、日本電子の主力製品である電子顕微鏡や電子ビーム装置の需要が激減し、アメリカでの売上が40%も落ち込んでしまった。温情主義の日本的経営を行っていたボストンにおいて、初めてレイオフを敢行し、赤字転落を免れた。こうした実績が評価され、アメリカ法人の支配人として本社の役員に抜擢された。
 しかし今度は、日本経済のバブル崩壊で、営業担当の取締役として93年1月本社に呼び戻された。本社も赤字に転落した。さらに子会社の日本レーザーが債務超過となったので、経営の抜本策を銀行に迫られた結果、労組委員長の経験もあり、若くて英語も話せる近藤氏に再度白羽の矢が立った。94年に日本レーザーの代表取締役に就任したが、当時は本社役員兼務であった。子会社の再建に送りこまれたことで、周囲からは「近藤もこれで終わりだ」と言われたが、本人はむしろ新しいチャンスととらえていた。
 社長就任直後、ナンバー2の常務が社員を引き連れ、商権を持ち出して独立していった。同氏は持ち前の交渉力を活かし、海外パートナーを自ら開拓し、商権を回復することに尽力した。コストダウンと相まって就任1年目で黒字を実現した。しかし、社員から見れば、これまでの社長と同様数年で本社に戻る天下りとしか映らない。本気で社員のやる気を高めるには、自ら退路を断たなければならないと覚悟を決めた。95年に6年務めた日本電子の取締役を退任した。背水の陣の覚悟が社員を鼓舞し、高業績を生むという幸運を招き寄せた。加えて当時79円75銭という円高が輸入商社には追い風となり、2年間でそれまでの累積赤字を一掃することができた。
3.株式会社日本レーザーの理念
 株式会社日本レーザーは、その後も黒字経営を続け、上場企業である日本電子の子会社として金融面でも安心できる状況にはあった。しかし、人事面や事業展開における制約を克服しなければ、これ以上社員のモチベーションを高め、さらに業績を向上させることが困難であると認識した。折しも、親会社も光関連事業を縮小し、レーザーを担う子会社には次期社長を送れないと打診してきた。つまり、連結対象関係会社の支配権を手放そうということである。かねてから独立を考えていた近藤氏は、日本電子から株式を買い取って持ち株会社を設立した。MEBOに踏み切るに当たり出資を社内に募ったところ、役員だけでなく全社員が希望し、想定枠の2.4倍の購入希望が集まった。07年の独立により、役員の経営に対する責任意識と社員の意欲は格段に高まった。08年以降入社の社員も出資できるよう、第2社員持株会を新設したことにより、派遣社員とパートを除く全員が株主となった。まさに、「会社は経営陣と社員のもの」となったのだ。
 新経営理念では、「私たちは、世界の光技術を通じて、お客様やパートナーと共存共栄を実現し、科学技術と産業の発展に貢献します。」と宣言した。また、新しい企業の使命として次を掲げている。
1)お客様に、光に関するあらゆるソリューションを提供する。
2) 会社は社員にとっての自己実現の舞台であり、いかなる差別も廃して、公平に成長するための機会を提供する。
3) 海外のパートナーとの共存共栄を通じて、異文化相互理解や、草の根の活動を通じて世界平和に貢献する。
 この使命に基づいて、マイノリティである女性、高齢者、身障者、外国人を積極的に採用し、身体障害1級の社員を課長職に登用している。
 しかし、近藤社長が最も強調したいことは、以下の社長からのメッセージに表れている。
「よく顧客満足第一と言われます。
しかし、自らが所属する会社に満足することなく、また自らが提供する商品やサービスに満足できなくて、どうして、お客様に満足していただけるでしょうか?
私は社長として、まず社員が満足できる企業を目指して経営しています。
それが結果的に、お客様のご満足につなげると信じているからです。
どうか当社の社員の成長に繋がるような厳しいご注文やご意見をお願い致します。
社員の成長が企業の成長であると確信しているからです。」

※次回に続く
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