コラム「伸顕が斬る!」
破産から再建へ part.1
2009年9月 2日 水曜日
財団法人大田区産業振興協会 専務理事 山田伸顯
 日本の戦後の政治史における最大の変化が起こった。1955年以来、一時細川連立内閣が樹立した短期間を除けば、自民党が主導してきた政権が崩壊し、本格的な政治選択の時代が到来したと言える。
 しかし、政策転換の実現はこれからである。日本の国家政策を推進するに当たり、最大の問題は財政の再建である。国の財政再建に関して参考となる事例として、2年前から財政再建のいばらの道を歩み始めている夕張市がある。一地方の特殊な問題ではなく、国の財政状況の縮図として見つめるべきである。また、企業経営者にとっても、財務に対する的確な判断をしないまま、経営を取り巻く環境変化を見ずに過大な投資を行い、決算の粉飾を行ったことがもたらす悲劇の結末を見通す参考になると思われる。
 雇用情勢が悪化する中、経営の立て直しによる財務の健全化こそが人の安定確保の王道である。それは政府も企業もしかりである。
1.国策に翻弄された夕張
夕張市街地の街並み
夕張市街地の街並み
 財政が破綻し必死の思いで再建に取り組んでいる夕張市を訪ねた。
 2006年6月20日の市議会で当時の後藤市長が財政再建団体の申請をする旨を表明して以来、夕張市はマスコミのニュースとして度々取り上げられた。その後の市長選挙も地方選挙とは思えないくらい全国的に注目された。
 かつて炭鉱の町として栄えた夕張は、1960年には人口が最大で11万6千人を超えていた。本年4月末現在の住民基本台帳に登載されている人口は1万1574人であり、ピーク時の約10分の1に激減している。市レベルでは人口の減少率が日本一であり、加えて65歳以上の高齢者比率の高さと若者の割合の低さが全国の最上位を占めている。
 炭鉱のあった周辺には廃屋が今も放置されたままとなっている。街の中心部の人影もまばらで、たまに高齢者が歩いているのを見かけるが地元の若者や子供の姿を見ることはほとんどない。
炭鉱町の廃屋
炭鉱町の廃屋
 戦後の経済政策において、「傾斜生産方式」という基礎産業推進政策の中心を担ったのが石炭の増産である。良質な石炭を排出する夕張炭鉱には多くの労働者が引き寄せられた。住宅が提供され、医療費も掛からないという、厳しい労働ではあったが豊かさを実感していた様子が、当時の映像から伺える。
 しかし、国が石油へのエネルギー政策を転換し、同時に安い外国炭の輸入が始まると、石炭は減産を迫られた。「幸せの黄色いハンカチ」の舞台となった夕張は国策に翻弄され、脱炭鉱の地域再生の道を模索せざるをえなくなった。
 そこで登場したのが、夕張市役所の職員労組委員長を経験した後、市の企画室長・助役を歴任した中田鉄治市長である。市長として6期勤めた中田氏は、カリスマ的存在で国に対しても政治的影響力があり、市議会も文句も言わず追随していた。
 中田市長が進めた政策の基本は、「炭鉱から観光へ」であった。石炭の減産政策に伴って補填される補助金などの国費を引き出し、それを観光資源に当てるという手法で観光都市化を推進していった。1978年に「石炭の歴史村」という観光施設建設計画に着手し、80年には石炭博物館を開館した。84年にはサイクリングターミナル「黄色いリボン」とワインやブランデーを製造する「めろん城」が相次いで落成。86年にホテル「シューパロ」が完成、88年に「ロボット大科学館」と「夕張美術館」を開館した。
ホテルマウントレースイから夕張駅を眺める
ホテルマウントレースイから夕張駅を眺める
 89年からは松下興産が観光開発に参入し、スキー場等のリゾート開発を民活で手掛けた。90年には、スキー場に隣接したホテル「マウントレースイ」も竣工した。夕張駅がこのホテルの真ん前にあるのは、リゾート開発に合わせて駅の位置をずらしたからである。
 観光開発と平行して、炭鉱のガス爆発が相次いだことを契機に、三井の北炭(北海道炭鉱汽船)夕張炭鉱と三菱南大夕張炭鉱が閉山していった。解雇された従業員は、それぞれ2040人、3500人を数えた。
 観光産業への転換は、時勢の後押しもあり成功するかに見えた。炭鉱関係者の一部であっても雇用につながり、市からの人口流出を食い止めていくめどがたったかに思えた。国もリゾート開発を推進していた。この時期には中田市長は全国の地方自治体再生の旗手とまで言われ、90年には旧自治省から「活力あるまちづくり優良地方公共団体」として自治大臣表彰を受けている。ちなみに同年に「ふるさと創生資金」を使って「ゆうばり映画祭」を始めたのも、職員時代に勤務時間中にもかかわらず映画館に通ったと言われるくらい映画好きな中田市長である。
 しかし、90年代初頭にバブルがはじけてから、全く事態は一変した。民間企業である松下興産は夕張から撤退を開始した。一旦市が松下興産に売却したホテル「シューパロ」を買い戻し、「マウントレースイ」も買収しなければならなくなった。
 夕張観光事業の絶頂期が終わり、陰りが見えた頃合いを見計らったかのように、2003年4月に中田氏は市長を退任した(9月に死去)。24年間(企画室長時代から数えると約40年間)続いた権力に終止符が打たれ、これを期に夕張市の財政状況が表に現れることになった。


※次回に続く(明日アップ予定)
前の記事 タコとフグで島おこし
破産から再建へ part.2 次の記事