コラム「伸顕が斬る!」
タコとフグで島おこし
2009年5月 7日 木曜日

財団法人大田区産業振興協会 専務理事 山田伸顯

 

 愛知県知多半島の南端、師崎港の沖合2キロのところに日間賀島がある。面積0.75平方キロ、人口2,164人(2005年国政調査)の小さな島である。日本には離島(本州、北海道、四国、九州、沖縄本島を除く島)が6,847あるが、その中で261が有人離島として離島振興法による離島振興対策実施地域に位置付けられている。しかしこの日間賀島では、小さい離島にイメージされるような過疎化と高齢化に伴う寂しさという雰囲気とは異なり、明るさや活気さえ感じられる。

 私は、立教大学山口義行教授の「現場に『解』あり」という著書に紹介されている、日間賀島観光ホテル社長の中山勝秀古氏に会いたくて2月末に日間賀島を訪ねた。山口教授とは新連携の関東地域事業評価委員会で一緒に委員をさせてもらっている。この本では、中小企業の連携が未来を開くという論旨を展開され、「地域再生も連携から」の事例として日間賀島を取り上げている。そこで「フグの島」として書かれていたことも訪ねる魅力となったことは間違いない。

タコのモニュメント
タコのモニュメント
 前日、渥美半島の伊良湖に立ち寄ったので、そこから高速フェリーに乗るルートを取った。三河湾を渡り、30分ほどで日間賀島西港に到着した。早速出迎えてくれたのが、巨大なタコのモニュメントである。なるほどここは「タコの島」でもあるのだ。港の横に立っている全島の観光案内図には、「ようこそ多幸と福の島 日間賀島へ」と記されている。ちなみにこのタコのモニュメントは、竹下内閣時代に自治体に1億円の交付金を配った「ふるさと創生事業」を活用したものだそうである。
迷路のような道
迷路のような道
 西港から15分ほど歩くと日間賀島観光ホテルに着いた。まだ、中山社長は外出先から戻っていなかったので、島をぐるりと歩いてみた。島の周囲は約6kmなので、神社や寺に寄っても2時間もあれば主なところを見て回れた。道が狭いので車は少なく、坂道が多いため島の人は自転車ではなくバイクを足代わりにしている。しかしヘルメットをかぶっているライダーはほとんどいない。道は迷路状に入り組んでいて方向が分からなかったりしていると、通りかかった人が聞かれる前に親切に教えてくれる。駐在所の広報誌に「1年間事件記録なし―民警一体で達成した大記録」と掲載されていたが、ここでは犯罪が起こることの方がまれなのだろう。
タコの模様が描かれたマンホール
タコの模様が描かれたマンホール
 漁業集落環境整備事業の適用を受け、島としては比較的早くから排水処理施設が整備されたため、海の環境浄化に効果をあげてきた。その甲斐もあって、海水浴場としても賑わうようになり、生簀に半分放し飼いにしたイルカと遊べる体験プログラムも人気を博している。道路のあちこちにあるマンホールなどの公設枡にタコやフグの絵柄が描かれているのも、排水事業のシンボルを表している。行政を巻き込んだ島を挙げてのブランドづくり推進にもなっているのである。
中山社長
中山社長
 ホテルに戻って中山氏と会う。私と同じ団塊の世代である。中山氏は49年に日間賀島で生まれ、愛知県内の工業高校卒業後家業の旅館に就職した。92年から法人化したホテルの代表取締役となり、97年には日間賀島観光協会長、2000年から01年まで南知多町観光協会副会長を歴任してきた。また、漁業と観光の融合にいち早く取り組んだ功績が評価され、03年に国土交通省の「観光カリスマ」に選定された。
たこ阿弥陀如来伝説の銘
たこ阿弥陀如来伝説の銘
 家業をつくことを決めたとき、知多半島内の旅館が大型化し競争が激しくなってきた時期であった。そうした中で、魚介料理を提供するだけではわざわざ離島に観光客が来なくなるという危機感を強めた中山氏は、何か特色を出して他の地域との差別化を図らなければならないと考えた。そこで思いついたのが、島で大量に水揚げされるタコだった。天日干しにして保存食として正月の供え物としても使われているなどなじみの深いものである(「引っ張り蛸」の語源とされる)。また、寺の本尊が津波で流され、大ダコに抱かれてタコつぼから発見されたという「たこ阿弥陀」伝説もある。タコのキャラクターをデザインし、タコグッズを作り、タコ飯・タコのしゃぶしゃぶなどのタコ料理メニューを出すようにした。これを自分のホテルだけでなく、島全体の取り組みとしたのである。
日間賀島の漁船
日間賀島の漁船
 漁業者と観光旅館業者がうまくいっているところは少ない。海水浴などの観光客が増えれば、魚が寄らなくなって漁獲量が減るとして漁師は嫌がる。観光業の中には、地産地消を無視して他から食材を仕入れるものもある。しかし、この日間賀島では島民のコミュニティが昔から良好に保たれていて、漁業あっての観光であり、また、観光が集客することで漁業は潤い、主婦の働く場所も確保できるという共生意識があった。それが、タコの島として活性化し始めると良い方向に展開していった。イベントとしても、漁協と共同でタコつぼ漁などの自然体験型漁業が始まった。
ホテルで食したフグ刺し
ホテルで食したフグ刺し
 こうして観光客は増えていったが、もう一つインパクトのあるものがないと伸び悩んでしまう心配があった。海水浴シーズンが終わると秋口以降は閑散期となってしまう。そのときに注目したのがフグだった。89年にフグの本場下関付近で不漁となり、日間賀島周辺では豊漁だったため、下関から日間賀島までフグを買い付けに来る業者が殺到し高値で販売された。もともとトラフグの水揚量では愛知県が全国一であり、日間賀島周辺も有数の漁場である。ただし、この地方ではフグを食する習慣があまりなかったので、水揚げされたフグは全国に出回っていた。したがってフグの調理人もおらず、料理するすべも知らなかった。そこで中山氏は知己のあった下関唐戸市場の社長にお願いしたところ、即座に指導を引き受けてくれ、調理方法から客へのもてなし方までノウハウを伝授してくれた。「敵に塩を送る」ことを敢えてしてくれたのは、フグ料理を食べる人が増えれば業界全体の利益になるという視野を持っていたからだが、その度量の広さには感服したと言う。こうして「フグの島」としてのスタートを切った。今では60軒を超える旅館・民宿がフグ取り扱い旅館となっている。

 供給体制が整っても、集客できなければ需要に結びつかない。今度は名古屋鉄道と協力関係を持つことにした。名鉄各駅から1泊または日帰りコースで日間賀島各旅館での食事付きプランを企画商品として売り出してくれた。

 日間賀島観光ホテルで食したフグは最高だった。鮮度はもちろんのこと、ふくよかな味わいと何とも言えぬ歯応えなど、下関にも勝るとも劣らないレベルの料理として提供してもらった。
日間賀観光ホテル
日間賀観光ホテル
 中山氏は現在、次世代に早く託すことを考えている。これまでは時代を皮ふで感じることができ、その感覚に従って行動できた。しかし今は、時代を頭で考えるようになったと言う。だから次の時代を担うものを養成したい。リフレッシュするためには、自分の中に貯めたものを捨て去ることが必要だとも言う。いっぱいになったところには新しいものが入る余地がなくなるからという考えである。同世代人として肝に銘ずべきと思う。新しい感覚に順応しようという姿勢はホテルの改装に現れている。若いデザイナーにすべて任せた結果、各室の色調がダークになり、和室・洋室とも斬新なイメージの部屋になっている。
 島に育てられ、島に愛着をもつ中山氏は、島から得た利益は島に還元すべきという信念で進んできた。島が良くなれば自分も良くなるということだ。このことは島に限らず、地域の自立と地域における共生として捉えるべきであろう。
 日間賀島への観光客数は、2000年の34万人に比べれば減少しているが、07年には27万7千人と前年の25万8千人を上回った。観光客を呼び込むことで、島の漁業も盛り返す。海の幸の魅力がPRされると一層集客力が増す。産業間の相乗効果がもたらされることで地域が活性化される。こうした中山氏を中心とする島の人々の実践活動が実を結び、過疎化と高齢化に翻弄されがちな離島でも活力を再生させてきた。
 日本の離島全体では、人口減少率が1960年と2005年を対比すると53.0%、05年における65歳以上の高齢者比率は33.0%となっているのに対し、日間賀島では同時期の人口減少率が20.7%、05年高齢者比率は26.1%にとどまっている。世帯数では60年時点より多くなっており、最近の状況でもほとんど減っていない。社会減は続いているが転入数も多く、出生数が死亡数を上回る状況も現れている。これは小さな離島としては特筆すべきことである。
 今回、私が離島における産業再生と地域の自立の実例を紹介したのは、日本の各地域において起こっている産業の停滞に伴う地域の閉塞感に対して打開のヒントを提示したいと思ったからです。地域の雇用を維持するために、地域の産業相互の協力関係をどのように構築すべきかを考える当たり、参考としてもらいたいと願っています。閉鎖的な島で可能なことであれば、広域的な連携を結びやすい大田区のような地域での取り組みは、はるかに道が開きやすいと思われます。ただしそれは、自己中心的でなく共生・共存の方向を目指すことによって実現できることです。互いに得意とする分野で協力し合う意識が大切です。
参考資料
・山口義行 「現場に『解』あり」中央公論新社 2007年6月
・南知多町 平成20年度版「データブック南知多」
・愛知県  「愛知の離島」2008年7月 
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